誰でも、自分に失望したり、腹を立てたりすることがある。急に生きる元気がなくなる。同僚や友人と上手く行かない時、奥さんと喧嘩した時、上司からきつく批判された時、仕事が期待どおりに進まないとき、などなど........。一杯飲んで寝てしまうのも1つの手。翌朝はすっかり忘れて元気が戻ることもある。
ところが時には、その元気が戻らないことがある。何となく憂鬱で、仕事や生活に対するかつての情熱が沸かない。原因不明の意気消滅・・・・・英語で「ディプレション」と言うやつだ。日本語の通常訳は「神経衰弱」だが、これはどうも深刻過ぎて頂けない。人間一生のうちには、人生の目標を失ったような迷路に入り込んでしまうことは誰にでもある。特に周囲の雰囲気に敏感な人や、感覚の鋭い人ほど、そうした心理的な苦悩を経験しやすい。そんな時どうするか? 40歳代を通してかなり頻繁にこのディプレションを体験した筆者はこの分野のベテランなので、これを克服する秘訣を一つご紹介しよう。
アメリカ人のセラピスト達から学んだ1つの教訓。ディプレションとは「自分に向けられた怒り」(anger turned inward)である、と定義されている。つまり、上司への怒りとか、妻への怒りといった「対人向け」の怒りでなく、その怒りの対象が自分自身である場合に、人はディプレッションに陥ってしまう。この事実を知っておくと、これから原因不明の意気消滅に落ち込んだ時に役立つ。
先ず、原因を確認しよう。「自分の何について自分は怒りを感じているのか?」この自分の状況分析には、ある程度の訓練が必要だ。悶々と自分の情けない沈滞状態の苦渋に浸ることではない。逆により積極的に、かつ自発的にまた客観的に、自分を見つめる努力である。その自己探求の方法は?
先ず一人で、静かに、誰の邪魔も入らない場所を確保する。正座するなり、横になるなりして、心身をリラックスする。呼吸に注意を集中し、少なくとも5分か10分、黙想する。心を静める。表面に浮かぶ、人の言葉とか、過去の思い出とか、これからのプラン等、軽く流してやる。青い空を走る白い雲のように、「ああ、これは思い出だ。これは将来のプランだ・・・・・」と、自分の頭に次々と浮かぶ思想のカケラを、右から左へ飛ばしてあげる。何も浮かばなくなる状態になったら、しばらくその平和と静けさを楽しんでみよう。
さて、その静けさの中で、ゆっくりと自分は自分の何処に、あるいは何に失望しているのか、自問してみる。自己の中核的な価値やイメージと、外の世界の出来事の間に、なにか大きなギャップを感じたのに違いない。そのギャップが自分への怒りとなり、それがエネルギーを食い潰してしまったのだ。ギャップ、つまり原因が確認されたなら、このディプレションは克服できたも同然だ。
他人が自分をどう見るかは、コントロールすることができない。世間で起こる出来事は、自分で左右できるものではない。周囲の人や出来事は、そのまま、あるがまま受け入れる。自分の外への反応は、自分でコントロールできる。自分を軽蔑するような言葉や、批判の声が聞こえても、それにどう反応するかは、我々の自由選択肢なのだ。
黙想により取り戻した自己の核に戻り、外への反応(リアクション)を中止して、内からのエネルギーに身を委ねる。自分の重心をそこで取り戻す。勇気が再び沸いてくる。人を助け、良い仕事を完了し、世の中に役立ちたいという夢が再び戻ってくる。その喜びと幸せをじっくりと味わう。その味を忘れずに、次のディプレションに備えて脳裏に蓄えておこう。これがベテランによるスタンダードなディプレッション克服法です。
その他加えて、具体的に幾つかの手法(テクニック)も紹介しよう。
(1)身体の運動は欠かさない。テニスとか、スキーとかでなく相手や天候、道具の有無に左右されないで、常時自分一人でできるエクササイズを始めよう。ジョギングは手頃だ。小生はプールでの水泳と、ヨガに似た体操を週に2-3回やるよう心掛けている。
(2)箱の外にインスピレーションがある。困った時、壁にぶつかった時、その問題を生んだ環境の内には解決法が見つからないことが多い。静の生活をしているなら、動の生活に転換する。動なら静へ。例えば、仕事(職場)でのトラブルなら、家族との付き合いに解決策が潜んでいるかもしれない。人間関係のトラブルに悩んでいる時、一人で行った音楽会や美術館で答えが見つかったりする。都会生活から離れて、山の中を歩くのは大抵多くの成果を生んでくれる。
必ず抜け道がある。苦しい時は、それを否定せずに静けさの中に身を委ねて、答えが浮かぶのを待つ。「時間が神様だ」と言った人がいたような気がしますが・・・・・。覚えておいてください、「時間は神様だ」・・・・・。
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